アトリエの様子や、生徒さんの作品を紹介しています。

葦 1~3   「絵画サークル葦」に寄せて

  2009年の夏、ロゾー絵画教室の母体である絵画サークル葦が発足しました。絵を描くことが好きな数名の有志による集まりでした。発足に当たり以下の文章を寄せました。また「葦」通信を綴ってみました。

2009年7月より、「絵画サークル葦」を始めました。会の名前はパスカルの有名な言葉「人間は考える葦である」から借用しました。絵を描くとき、私達は色々なことを考えながらイメージしていきます。時には、絵の世界に入って、我を忘れて腕が動くままに描くこともあるでしょう。それもまた、感覚を総動員させて自然に身を任せながら考えている、ということなのでしょうか。河畔にたたずむ葦のように、たとえ嵐のときにも柔軟に身を任せ、風になびきながら、伸びていく。そのような、しなやかな精神を伴った絵を描いていければと願います。

葦 1号  

  残暑お見舞い申し上げます。皆さんお盆の間はどのようにお過ごしになりましたでしょうか、私は静岡県藤枝市にある実家に帰省いたしました。藤枝には蓮花寺池という周囲2キロほどの池があります。現在はかなり整備されておりますが、以前は自然のままで、葦が群生していました。子供の頃、私はそこで鮒を釣ったり、亀を探したりしました。パスカルは、「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」と書いています。人間の有限性や弱さを認めた上でなお、人間は、考えるという行為、つまり精神性によって宇宙を超越することができると信じたのです。絵画表現の可能性は、私達がしなやかに考え続けることで、もっともっと拡がっていくのではないかと希望を持っています。

  2009年8月

 葦 2号 

 今年は冷夏だったのでしょうか、寝苦しい夜は少なかったように思います。みなさんはいかがでしたか。そんな夏を振り返って、7,8月に開催された二人の画家の個展をご紹介いたします。最初は「久保一雄(1901~1974)」展。椎名町の「アトリエ村の小さな画廊」で開催されました。作品は奔放な色彩を駆使しキュビズムを志向し、抽象的な形象も描いていて、そこからは戦後間もないころのアバンギャルドな気運を感じました。久保は池袋モンパルナスと呼ばれている地域でアトリエを構えていました。それは現在では西武池袋線の椎名町駅の辺りで、昭和の初めごろから、東京の郊外であったその地域にアトリエ村のような集落を築いていたようです。今、私たちの会場になっている落合のあたりも近所ですので、佐伯祐三をはじめ色々な画家たちが住んでいたようでした。洋画家たちは、明治以降の日本の社会と同様に物凄い勢いで西洋の文化を習得していきましたから、そのような時代の一人の前衛画家のリアルな生き様を体感できた感じがしました。

もう一人は今年の1月に44歳の若さで癌に倒れた「館勝生(1964~2009)」展。大阪の「ギャラリー白」で開催されました。館とは大阪と東京で何回か一緒に展覧会をしました。94年のVOCA展の時には、彼は奨励賞を取り、同世代の中ではいつも一歩先を行く、将来を嘱望された才能あふれる画家でした。瞬時に描かれる作品は独特のスタイルを築いていました。今回展示されていた作品も生々しい油絵の具の痕跡を、キャンバス上にぶつけるバイタリティー溢れるものでした。そこからは彼が放つ「生」がストレートに伝わり、とりわけ最期の作品になった「December.30 2008」はレーキ(赤)が分厚く付着していて、手を動かしている振動さえ伝わってくるかのようでした。彼が、作品を描き切るためにモルヒネを断っていたと聞き、納得の思いでした。丹精を込めて描かれた絵の、その一筆一筆を追っていくと、作者と同じ目線になり、彼の息吹が聞こえてくるようでした。私はそれが絵の魅力であることは間違いないと実感しました。

 2009年9月

葦 3号

 11月に入り急に冷え込みが増した感じがします。パリの秋は寒さが徐々に外気と人を遮断させていくような感がありました。パリジャンたちは、冬の訪れに備えてスカーフやマフラーをいち早く引っ張り出し、皮の上着で防御していました。パリの緯度が樺太とほぼ同じ位置にあることを考えれば当然のことなのでしょう。東京は湿気があるせいかまだ体に優しい感じがします。

11月は紅葉の季節でもあります。一昨年13年ぶりに日本で紅葉に接することができましたが、何より赤色の鮮やかさに圧倒されました。フランスでも街並みにしっとりと落ち着いた色彩を与えていたのですが、日本では加えて華やかさや、艶やかさもあるように思いました。いにしえより絵の主題になってしかるべき景色なのでしょう。

最近私は海岸でスケッチをしました。ひとつは静岡の砂浜を、もうひとつは千葉鴨川の岸壁を。海辺にたたずむと、海流のうねりとしぶきが轟きとともに眼前に迫り、潮風が容赦なく体当たりしてきます。スケッチブックはしっかり抱えていなければページがめくれてしまうし、飛んでいってしまいそうになりました。それに応じて私の手は(もともと震えるのですが)より振幅が増しました。眼を通して体が雄大なモチーフとスケッチブックにしがみついているかのような趣でした。何枚かのスケッチが仕上がりました。絵は記憶を残していくための装置になっていくのでしょうか。波、風、鳥、雨、気温、音・・・など現場で体感したことと一緒に。

 2009年11月

カテゴリ:Blog, 葦 通信  更新:2010年11月24日